結結エッセイ06 海と陸をつないだ挑戦 荒木 汰久治

現在海人丸で目指している場所は中国です。その為には前回よりも多くの人・食料・水を船に積む必要がある為、カヌーは必然的に大型化します。自分は海人丸2号の新造を決意し、母体サバニの材料となる飫肥杉を宮崎県(日南市)の山に登り2年の歳月をかけて適した木材を探し出しました。その木を地元の子供達と共に伐採し、代わりにどんぐりとクヌギ、広葉樹を植樹しました。この飫肥杉は地元日南の後援会・井上家から寄付を受けたものですが、樹齢60年とこの地に根付いた木を伐採する行為は、実際にその時をむかえるまで、命を絶つことだと思っていました。ですが、木が倒れる「ドスン」という音がちょうど赤ちゃんの産声のように聞こえ、その時『命』は繋がるものだと改めて知りました。そして、すでに完成されていた舟を使った前回のプロジェクトは“1”で、今回は“0”からの再スタートだと気付かされました。海と森が繋がる。そして井上家と荒木家が飫肥杉で繋がる。表面ではなく芯で繋がるということを感じました。


私が沖縄で大好きな言葉は「命どぅ宝」、そして「ゆいまーる」です。転校人生の私に一番強く響いたフレーズです。沖縄は観光、芸能、スポーツ、教育、農業や漁業とまだまだ沢山の可能性が秘められています。この二つの言葉を大切にしていくことで素晴らしい島の未来が見えてくると思います。

私は日頃から地域の海・畑仲間、サバニ大工の大城さんなど、自然を愛するコミュニティーのなかで、家族のような関係を大切に地域の成人会や親子会活動に深く携わっています。海人丸2号を建造することで更に多くの家族の輪が広がっていくと期待しています。また、将来自分の子供を育てる場所は綺麗な海と空気と水が溢れる場であってほしいと願っているので、島と島だけでなく海、山、人を繋ぐ海人丸2号の役割はとても大きいと思っています。海を渡り続けた10年間を振り返ると、点である一つ一つの出来事が繋がって、線になって見えてきます。確実に言えることは、振り返ることでしか繋がりは確認できません。未来を信じたくても恐怖に包まれますが、大きな夢があれば恐怖を乗り越えることができます。つまり、島を目指し前進を続けることしかないのです。実際に海を渡る行為は大冒険に見えるかもしれませんが、その行為はあくまでもプロジェクトの目的の一つに過ぎません。船を建造してクルーと共にトレーニングを積んで海の荒波を乗り越えるのと同様に、社会の荒波も乗り越える必要があります。それは我々人類が抱える問題を諦めず、一つひとつ乗り越えるということです。

“海人丸クルー”は皆、強い意志を持つ人間です。人と人、人と自然がポジティブにつながり共生できる持続型社会を確立するプロセスこそが航海プロジェクトの本質なのです。このプロジェクトはまだまだ始まったばかり。この沖縄の地に足をつけ、地域に根付いたプロジェクトとして10年、20年と、仲間や家族と共に海を渡り続けたいと思っています。そしてこの沖縄の未来が健康で安全な島へと辿りつくよう力いっぱい漕ぎ続けたいと思います。

Keep Paddling.

荒木汰久治

PROFILE

荒木 汰久治 (あらき たくじ) プロオーシャンアスリート

1974年熊本県生まれ。幼少から転校生として育ち大学で海と再開しライフガードを始める。96年全日本ライフセービング選手権サーフスキー部門で優勝。現在までに3連覇を含む優勝4回。98年世界選手権で6位に輝く。大学卒業後はプロアスリートとしてアウトリガーカヌー・パドルボードの世界最高峰ハワイ・モロカイ-オアフ海峡(32mile)横断レースに98年から25回連続出場し好成績を修める。オーシャンカヤック世界15位・パドルボード世界9位。
2005年、海人丸(サバニ型航海カヌー)で沖縄~愛知万博(約2000Km/56日間)の人力航海。
2007年、ハワイの古代航海カヌー・ホクレア号(ハワイ〜日本航海)に日本人クルーとして乗船。
2009年、海人丸中国航海プロジェクトが始動。現在は沖縄宜野座村に住み、名桜大学講師として海人丸二号を建造中。

海人丸ブログ

ホクレア号沖縄到着

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