そこで私は、勝手に想像したのである。あの黄河を船で行き来していた人たちが当時の琉球に最初にやって来たのではないかと・・・それは、琉球王国が中国と大交易を模索していた時代の話。
推察するに、あの黄河を行き来する奥地の民は、海のような大河を渡るうちに航海術に近いものを身に付けていたが、けっして生活は豊かではなかったはずなのだ。ところがある日お国から、琉球まで船で渡ることに成功したら報奨金をやると話しを持ちかけられ、彼らは一攫千金を夢見て黄河を飛び出し、大海原に繰り出していったわけだ。
その当時だから、エンジンなどあるはずもなく、風をよみ、潮の流れをよみ、時には腕力を掛け声と共に櫂(かい)に伝え、果敢に琉球を目指したはずなのだ。きっと多くの命が海の犠牲になったに違いない。しかし遂に、その野望は報われ琉球にたどり着くことに成功したのである。